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~ 昴(スバル) ~

スバルは、夜空に広がる、おうし座付近のプレアデス星団のこと。この言葉は、片仮名書きが多いので、外来語かと思っていました。

でも、これは純粋な日本語で『枕草子』にも「星はすばる、彦星、明星・・・。」と出ています。

「すばる」は「統(す)べた状態になる」という意味の動詞で、この星団が数個の星の集合と見えることからの命名のようです。漢字で書くと「昴」。最近は、男子の名前にもよく見かけます。

そして、信州の蕎麦どころなどには「スバルまんどき粉八合」という諺があります。これは、立春から数えて二百十日ごろ、スバルが南の中天にかかったのを見て、蕎麦をまくと、一升の蕎麦の実から八合も粉がとれるほどよく実るという意味だそうです。

日本の星の名は、このように農耕の季節を教えるものとして活用されてきました。(因みに、西洋では方角を表す星が多いようです。大航海時代の名残でしょうか。)

また、六〇歳以上の方々のカラオケの十八番になっている谷村新司の『昴』という曲名にもあります。

こう見てくると、星のスバルは結構身近な星なのですね。

それでは、秋の夜空を見上げ、自分だけの星を決め、名前を付けて楽しんでみてはいかがでしょう!(佐賀の星空学習館でも星空を身近に感じてもらうためにすすめていますよ。)9月15日(金)のえいぶる講座でおまちしています!

 

 

「エイブルの木」9月号コラム「エイブルからこんにちは」より

館 長:永池 守

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館長コラム 2017/08/22ownerLCT
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~四方山話~ おしゃべりは、心のストレッチ

おしゃべりは、心のストレス解消。あんな話、こんな話と四方山話を楽しみましょう。きっと、おしゃべりを楽しむ人は、元気で長生きができるようですよ。 

 よもやまというのは、「四方八方(よもやも)」が変化したものだといわれています。

 四方八方(しほうはっぽう)、つまり、あちらこちらという意味です。

 日本は山が多い国・・・四方の山で見てきたこと、聞いたことで話に花が咲くということも多かったことでしょう。

 また、山盛りの話題という感じで、「四方山話」という言い方が親しまれてきたのではないでしょうか。

 親しい仲間に久しぶりに会えば、四方山話は尽きません。

 「話す」の語源は、「放つ」だそうです。おしゃべりを楽しむことは、心を解き放つことにつながるのですね。

 つまり、おしゃべりが、ストレス解消に役立つわけです。だから、おしゃべりを楽しむ人は、元気で長生きができるわけです。おしゃべり好きは、きっと、ストレスをためない方法を自然と身に付けているのでしょう。

 解き放した言葉と心、受け止めてくれる心と言葉・・・。心の健康には必須のようです。

 体の健康づくりでウォーキングやストレッチをしますが、心の健康づくりには、おしゃべりが心のストレッチ!おしゃべりを楽しむと自然に笑顔が生まれ、老化防止にもつながって一石二鳥!

四方山話を楽しむ余裕を持ちたいですね。

エイブルの木10月号コラム「エイブルからこんにちは」より

館長 永池 守

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館長コラム 2017/09/15エイブル
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~秋の暮~

芭蕉の俳句に、「この道や行く人なしに秋の暮」とあります。

そして、NSPの曲に「夕暮れ時はさびしそう」とあります。

人は、秋の暮を思うと、どうしても「寂寥感」「孤独感」が漂います。

 「この道や行く人なしに秋の暮」と芭蕉は詠んでいます。

 四季折々の夕暮れの落ち着いた風情は、好ましいもので、今もたくさんの歌に詠まれています。

 その夕暮れの中でも昔から日本人は、とりわけ秋の夕暮れのさびしい趣を愛でてきました。

 実際に、釣瓶落(つるべおと)しに暮れていく、その「寂寥感」「孤独感」は、秋が深まるほどに募って、なんとなく心寂(うらさび)しい気持ちになり、人恋しくなるのは私だけでしょうか。

 夕暮れ時の歌で私の頭に浮かんでくるは、フォークシンガーのN・S・Pの曲で、オカリナのイントロで始まる『夕暮れ時はさみしそう』です。 

 学生の頃の曲で「田舎の堤防、夕暮れ時に、ぼんやりベンチに座るのか。散歩するのもいいけれど、寄り添う人が欲しいもの・・・。」という歌詞で始まります。

 芭蕉とNSPを比べるなんて、と叱られそうですが、私にとっての秋の夕暮れはこれなのです。歌のさびの部分「こんな田舎の夕暮れ時に呼び出したりしてごめん、ごめん」を何度も口ずさんでいましたねー。 

 今も昔も、秋の夕暮れ時は歌に似合う情景なのでしょうね。

エイブルの木11月号コラム「エイブルからこんにちは」より

館長 永池 守

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館長コラム 2017/10/15エイブル
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~天手古舞(てんてこまい)~

師走、忙しい忙しいと言いながらも、何かしら充実感をもって過ごしています。てんてこ、てんてこてんてこと軽妙なリズムに乗って舞う姿はいいものです。

年末の鹿島の行事は、十二月八日の祐徳稲荷神社の「お火たき」から賑やかに始まるように思っているのは私だけでしょうか。

年の瀬の十二月は仕事納めの月。この時期から一気に忘年会モードに突入。多い人で二回~三回の忘年会、次にクリスマス会と称して、また複数回の宴会をこなし、家庭では大掃除と忙殺されながらも家族で正月を迎える準備。まさにお祭りのように賑やかで、てんてこ舞いに過ぎていきます。

「てんてこ」とは、お囃子(はやし)で使う小太鼓の音のこと。

その音に合わせて舞う、軽妙な舞を天手古舞というそうです。

忙しくて天手古舞いしている自分を、外側から見てみると、ふと、気持ちがゆるむ気がします。

たとえ、振り回されているとしても、行動を起こしているのは自分の意思が働いているのです。自分が舞っているのです。

忙しい、忙しいと言いながらも、きっとそれなりに、充実感を抱いているのでしょうね。

どうせなら、うきうきするようなリズムに合わせて、テンテコ、テンテコと楽しく舞っていきましょうか。

どうぞ、一年の締めくくりの月を、賑やかで満ち足りた思いですごせますように。 

エイブルの木12月号「エイブルからこんにちは」より

館長 永池 守

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館長コラム 2017/10/15エイブル
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鏡開き

日本人は、昔から言葉には魂が宿ると考えてきました。言葉遣いは心遣いという言い方もあります。心と言葉は密接につながっているのですね。また、忌み言葉というものもあります。鏡開きも鏡割り、鏡切りの「割る」「切る」は縁起が悪いから「開く」といったのでしょう。

鏡開き ~言霊の力~

我が家では、年の暮になると正月の餅の準備で、ばたばたとします。今では、餅つき機械を使って五キロの餅をつきます。準備から片づけまで約三時間で済みます。その餅をつく日付は、決まっています。十二月二九日です。

二九を(ふく)と読ませて、福の餅というわけです。

しかし、中には二九日は、九が入り、それは九が「苦」につながり、苦の餅はつかないというところもあります。

そして、鏡開きの鏡とは、もちろん鏡餅のことです。丸い形のお餅を鏡に見立てて、神様にお供えします。

餅は、望月(満月)にも通じ、家庭円満の象徴です。

普通なら、鏡切りとか、鏡割りと言いそうなものですが、「切る」とか「割る」とうのは縁起が悪いということで「開く」という言葉が使われるようになりました。

いわゆる忌み言葉ですね。結婚式でも、別れる、切れる、終わるは、神経質なまでに避けたものです。

言葉には、言霊が宿っていると信じられているのですね。

確かに、「鏡切り」や「鏡割り」を「鏡開き」と置き換えただけで、ぱっと明るい光がさすような、そんな気がしませんか。

まさに新年に相応しい言葉と習わしですね。

                   エイブルの木1月号「エイブルからこんにちは」より

                                    館長 永池 守

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館長コラム 2017/11/15エイブル
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遠慮~心と行動~

遠慮という言葉は、もともとは、遠い将来まで見通してよく考えるという意味でした。

遠 慮 ~心と行動~

この遠慮という言葉は、もともとは、遠い将来まで見通してよく考えるという意味でした。

「深謀遠慮(しんぼうえんりょ)」も「遠慮なければ近憂あり」も、この意味の遠慮です。

しかし、今の意味は、遠い先のことまで配慮していると、すぐに行動に移らなくなることから、「態度を控えめにする」ということになったそうです。

この態度を控えめにするという行動だけ残って、本来の思いがどこかへ行ってしまったわけですね。

さて、この言葉の原点に戻って、遠くに思いをめぐらすことを考えてみると、私などは、直近にしか思いが及んでいないようです。

つい目先の自分の気持ちに左右され、失敗したらどうしよう。笑われたらどうしようと悩みこんでしまい体も縮こまってしまい、先のことまで見通せません。

そんな時、くよくよ悩むより、体を動かし何かに夢中になっているうちに元気になったり、つらいと思っていても、みんなとおしゃべりしたり笑ったりしているうちに気持ちが明るくなったりすることに気づきます。

人の心と行動の関係は、心が行動を左右することが多いようですが、行動が心を作っていくという側面も持っています。

自分自身を見つめる視線が目先のことだけに縮こまっていては、自分の心まで見失ってしまいそうです。深謀遠慮、ちょっと先を見て歩まねば・・・。

                 

                  エイブルの木2月号「エイブルからこんにちは」より

                                   館長 永池 守

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館長コラム 2018/01/23エイブル
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目白押し

野鳥の目白が押し合いへし合いして枝を渡るところから生まれた言葉

目白押し

鶯とイメージが重なる目白ですが、その名のとおり、目の周りが白く鶯色のかわいい鳥で、胸には金筋があり、とても綺麗です。鳴き声も、鶯に劣らずいい声です。

その鳴き声は、一だん声(チュリー)のものもいれば、中には二だん声(チュリチー)のものもいます。

そして、木々の枝に止まり頭を左右に振りながらシバ鳴き(チュリ、チュリ、チュリ・・・)もします。そして私が一番好きなのが高音(たかね)張りです。高い声をずっと張り上げて鳴きとおすのです。以前は、この鳴き方を競う大会があっていました。

(今は獲るのも飼うのも禁止です。)

私が子供の頃は、この時期、目白取りに夢中。目白を捕まえるのには、トリモチ(粘着性の強いガムのような接着剤)を小枝に水や唾液を付けた指で薄く他の枝と見分けがつかないように巻つけます。その枝の傍に、ミカンを刺しておき、餌にしておびき寄せます。目白がそのミカンを啄もうと枝に止まったら、もう最後、逃げられず、くっついたまま羽をバタバタさせながら、ついには足が枝から離れず、ぶら下がった状態で捕獲完了です。

そして、そんな目白の巣立ったばかりのころは、何羽もが体をくっつけて押し合うように止まっています。そして次々と動くときは、押し合うようにして移動します。それは、小さくてかわいいものです。そんな様子から「目白押し」という言葉が生まれました。

人が大勢押しかけるときに使いますが、この語源を知っていただくと混雑の騒々しい雰囲気も少しは和らぐかもしれませんね。

 エイブルの木3月号「エイブルからこんにちは」より

館長  永池 守

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館長コラム 2018/02/13エイブル
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言の葉 ~言霊の幸(さきわ)ふ国~

日本人は、言葉には魂が宿るという考えがあり、美しい日本語を豊かに使いこなしたいですね。

「言」と「事」とは同源だそうです。「言」は言葉。「事」は行為や現象。昔は、「言」として表現することで、「事」が実現すると信じていたそうです。

そして、「葉」は「端」とする説もありますが、草木の葉にたとえたものだとする説もあります。

心は、草木でいえば根っこに当たるでしょうか。心の中で思っているだけでは、どうにもなりません。言葉に出して、人とつながり、自分の心を磨かなければなりません。

『相田みつを』の詩の中には心 を根っこに例えているものがいくつかあります。

『花を支える枝、枝を支える幹、幹を支える根、根は見えねんだなあ』/『根さえしっかりしていれば、枝葉はどんなに揺れたっていいじゃないか。風に任せておけばいい』/『その根っこは見えない、その見えないところに大事な点がある』、詩の中の言葉、心に響きますね。

春に、草木が芽をだし、葉を茂らせることによって花を咲かせ、実を結ぶように、人は言葉によって思いを伝え、人とつながり、自分を表現しながら夢を実現していきます。

四月、新しいとき、せっかく豊かな言の葉を持った日本人に生まれたのですから、どうか、一人ひとりが、その立ち位置で、その場に相応しい素敵な言の葉を広げ、豊かな草木に育って行かれることを願っています。

                エイブルの木4月号「エイブルからこんにちは」より

                                館長  永池 守

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館長コラム 2018/03/18エイブル
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絆(きずな)

絆 ~目に見えない心のつながり~ 見えるようにすればするほど、見えなくなるもの。心のつながりは、見えるものではなく感じるものなのでしょうか?

もとは、馬や犬、鷹などを木に結び付ける綱のことで、「木綱(きづな)」と書いていたのが、いつの間にか「きずな」になったようです。

漢字の「絆」という字も、つなぎとめるという意味の文字ですし、「情に絆(ほだ)される」というと、情にひかれて、束縛されるという意味ですから、かなり、手かせ足かせのイメージが強い言葉だったようです。

しかし、太い綱でしっかりと木に結び付けられている馬と、ほとんど結ばれていないのに、そばから離れない馬がいるとしたら、飼い主との心の絆は、どちらのほうが強いのでしょう。

最近の世の中、多くの企業では「見える化する」という名のもとに、データ化(数値化・映像化)、することが進んでいます。所謂ビッグデータの活用が盛んに行われ、効果も上がっています。しかし、人の行動まで数字でデータ化されては息苦しさを感じます。

日頃の行動やコミュニケーションの中で、「信頼する」という寛容な世界を一人一人が持っておかないと、自分で自分の首を絞めかねないような事になってしまいます。

心の絆、それは、目に見える形にしようとすればするほど、弱くなっていくのかもしれませんね。

私たちは、自由で寛容だからこそ、強い絆を結ぶことができるのではないでしょうか。

                 エイブルの木5月号「エイブルからこんにちは」より

                             エイブル館長  永池 守

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館長コラム 2018/05/01エイブル
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 オオバコ ~ 車前草(しゃぜんそう)~

最近見なくなったオオバコ。中国では、車前草。道端に生える草という意味です。踏まれても踏まれても、しっかり育つ強い草ですが・・・。

車前草(しゃぜんそう)~大葉子(オオバコ)の異称です。

「車前」とは、中国で、車の通る道端という意味だそうです。

「大葉子」の「子」は、親しみを込めた接尾語。小さな草のわりには葉が大きいところからこの名がついたそうです。

子供のころの遊びでは、茎を根本から取り、二つ折りにして、二人が互いに引っかけあって引っ張り合い、どちらが切れないかを競うオオバコ相撲が知られ、スモトリグサ(相撲取り草)の別名もあります。

私も子供のころ、夏の暑い日に、オオバコの茎を何本も束ねて持って、田んぼの道端で、時を忘れ、暑さも忘れて、ヒッパイゴロ(引っ張り合い)をしていました。懐かしい思い出です。

さて、漢方薬にもなり、どこの道端でも生えるこの草は、車や人に踏まれても、たくましく育ちます。でも、踏まなければ、絶えてしまうのだそうです。

いわゆる踏み跡植物、轍(わだち)植物と呼ばれるものの代表のようです。

なんと、因果な・・・。身に付けた強さが、逆に弱点になってしまったのでしょうか。それとも弱いから、強さを装っていたのでしょうか。強さと弱さは隣り合わせ。強いことは時には、弱さにつながることもありますね。

                                                          エイブルの木6月号「エイブルからこんにちは」より

                                     館長  永池 守

 

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館長コラム 2018/06/01エイブル
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