遠慮という言葉は、もともとは、遠い将来まで見通してよく考えるという意味でした。
遠 慮 ~心と行動~
この遠慮という言葉は、もともとは、遠い将来まで見通してよく考えるという意味でした。
「深謀遠慮(しんぼうえんりょ)」も「遠慮なければ近憂あり」も、この意味の遠慮です。
しかし、今の意味は、遠い先のことまで配慮していると、すぐに行動に移らなくなることから、「態度を控えめにする」ということになったそうです。
この態度を控えめにするという行動だけ残って、本来の思いがどこかへ行ってしまったわけですね。
さて、この言葉の原点に戻って、遠くに思いをめぐらすことを考えてみると、私などは、直近にしか思いが及んでいないようです。
つい目先の自分の気持ちに左右され、失敗したらどうしよう。笑われたらどうしようと悩みこんでしまい体も縮こまってしまい、先のことまで見通せません。
そんな時、くよくよ悩むより、体を動かし何かに夢中になっているうちに元気になったり、つらいと思っていても、みんなとおしゃべりしたり笑ったりしているうちに気持ちが明るくなったりすることに気づきます。
人の心と行動の関係は、心が行動を左右することが多いようですが、行動が心を作っていくという側面も持っています。
自分自身を見つめる視線が目先のことだけに縮こまっていては、自分の心まで見失ってしまいそうです。深謀遠慮、ちょっと先を見て歩まねば・・・。
エイブルの木2月号「エイブルからこんにちは」より
館長 永池 守