芭蕉の俳句に、「この道や行く人なしに秋の暮」とあります。
そして、NSPの曲に「夕暮れ時はさびしそう」とあります。
人は、秋の暮を思うと、どうしても「寂寥感」「孤独感」が漂います。
「この道や行く人なしに秋の暮」と芭蕉は詠んでいます。
四季折々の夕暮れの落ち着いた風情は、好ましいもので、今もたくさんの歌に詠まれています。
その夕暮れの中でも昔から日本人は、とりわけ秋の夕暮れのさびしい趣を愛でてきました。
実際に、釣瓶落(つるべおと)しに暮れていく、その「寂寥感」「孤独感」は、秋が深まるほどに募って、なんとなく心寂(うらさび)しい気持ちになり、人恋しくなるのは私だけでしょうか。
夕暮れ時の歌で私の頭に浮かんでくるは、フォークシンガーのN・S・Pの曲で、オカリナのイントロで始まる『夕暮れ時はさみしそう』です。
学生の頃の曲で「田舎の堤防、夕暮れ時に、ぼんやりベンチに座るのか。散歩するのもいいけれど、寄り添う人が欲しいもの・・・。」という歌詞で始まります。
芭蕉とNSPを比べるなんて、と叱られそうですが、私にとっての秋の夕暮れはこれなのです。歌のさびの部分「こんな田舎の夕暮れ時に呼び出したりしてごめん、ごめん」を何度も口ずさんでいましたねー。
今も昔も、秋の夕暮れ時は歌に似合う情景なのでしょうね。
エイブルの木11月号コラム「エイブルからこんにちは」より
館長 永池 守