強者は、もとは「つばもの」。つばとは、刀の「鍔」のこと。もともと武具を表していたのが、今では鍛えあげられた心と技の持ち主のこと。
「夏草やつわものどもが夢の跡」
芭蕉が詠んだ平泉の地は、かつて義経主従や藤原一族の者たちが功名・栄華を夢見たところです。
知るや知らずや、この夏草を眺めていると、すべてが一炊の夢と消えた哀れさに心が誘われると、芭蕉が詠んでいます。
さて、この「強者」とは、「つばもの」から変化したもの。もともとは、武器や武具のことでした。「つば」は「鍔」、刀の鍔のことです。
やがて、兵士をさすようになり、次第に勇気のある強い武士をさす言葉になりました。「兵」は一文字で「つわもの」と読むこともあります。
今では、武器という意味では使われなくなりました。すぐれた技量と精神力を持ち合わせた人こそ、どんな武器にも勝るということなのでしょうね。
人は生まれつきの強者はいません。
あんなに小さくて弱い赤ちゃんが、やがて強者に成長していく過程には、自分の心と体を磨き続けた、それぞれの歴史があってのことだと思います。
スポーツで、芸術で・・真の強者が見せてくれる夢の舞台は、私たちに勇気や感動や元気を与え続けてくれます。大げさに言えば、私たちの心の栄養であり、心の体力をつけてくれていると感じます。
エイブルの木8月号「エイブルからこんにちは」より
館長 永池 守