泣きびすさん
泣きびすさんは、西部中学校と納富分公民館の交差点横の小さな祠(ほこら)に祀ってあります。
「泣きびすさん」のことは、亡くなった父や母からよく聞かされていました。私がよほど、泣き虫だったのでしょう。
「泣きびすさん」にお詣りすれば、子どもの夜泣きが治まり、泣き虫が治るということで、よくお詣りしたということでした。
実際に、私が小さい頃の写真を見てみると、泣いて鼻垂れて、泣きじゃくったものばかり。今、見てみると恥ずかしい限りです。
さて、「泣きびすさん」のいわれは、戦国時代、千葉氏に包囲され陥落した蟻尾城城主大村家親(いえちか)の夫人が幼児を連れて逃げ、道に迷い、納富分付近まで逃れ、潜んでいました。しかし、幼児が泣き出したために見つかり、夫人自ら懐刀で我が子を刺し、自分も喉を掻き切ってしまいました。最期に「これからは、泣く子を泣かないようにしてあげよう。」と言って息を引き取ったということです。
そこで、この夫人と幼児の死を悼み、ここに観音さんを祀って、その霊を慰めたのが、この泣子観音の起こりだと伝えられています。
里の人は、この夫人の言葉にあやかって、泣く子をなおそうとしてお詣りしたということです。
~鹿島市史料集より引用~
エイブルの木8月号より 永池 守