山吹は、古い時代から、大判小判の色になぞらえて賄賂に例えていました。
黄金色の山吹 ~実らぬ花~
山吹は春の季語で、名前の由来は、細い枝が風に揺られている様子を、山振(やまふき)といったのが語源だとか。
江戸時代は、山吹のお菓子(お茶)と言えば、菓子箱の底に小判をしのばせる賄賂のことでした。
しかし、つい最近の話で、ある県の原発を巡っての時代劇まがいの大判小判を賄賂に使った事件があり、新聞やテレビを賑わせていました。まるで悪徳商人と悪代官の如くで、腹立たしいというか、滑稽というか、もう笑っちゃいますね。
さて、この山吹については、室町時代後期の武将太田道灌のエピソードがあります。
若き日の太田道灌が狩りの途中に雨に遭い、蓑(みの)を借りるべく、ある小屋に入ったところ若い娘が何も言わず山吹の花一枝を差し出したので道灌は「花が欲しいのではない」と怒って帰宅。
後に、山吹には『七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞ悲しき(兼明親王)』の意が託されていたのだと教えられ無学を恥じ、歌道に精進したという有名な話があります。
つまり、「みのひとつだに」が、「蓑一つだに」と「実の一つだに」を掛けてある和歌だったのです。
実際に、事典で調べてみると、山吹は、一重咲きと、八重咲きがあり、八重咲の方には本当に実がならないそうです。
実らぬ花とは、いと悲しき!
エイブルの木4月号「エイブルからこんにちは」
館長 永池 守