鯉幟のいわれ。鯉と日本人のつながり。鯉は栄養豊富な魚です。
鯉の季節
風薫る五月、鯉幟(こいのぼり)の季節になりました。端午の節句に鯉幟を上げて祝う習慣が始まったのは江戸時代中期と言われています。
武家社会では武門繁栄のため「尚武(しょうぶ)」に通じる菖蒲湯に入り、豪華な武者人形を飾って男子の立身出世を祈りました。
そこで、武者人形を飾れない町人が考案したのが鯉幟のはじめといわれています。
高々と、のぼりを立てるのは神様に男子がいるのを伝える目印だそうです。大空に泳ぐ鯉幟は、武家と違って、しきたりに縛られることのない自由な庶民の心意気を表しているかのようです。
今では、鯉幟も武者飾りも両方とも飾る家が多いのではないでしょうか、まさに平和な証ですね。
さて、この鯉ですが、日本書紀に、景行天皇が美濃に行幸したとき、美人を見そめて求婚したが、彼女が恥じて隠れてしまったため、天皇は池にコイを放って、見に出てくるのを待ったとあり、このころすでにコイが観賞用として飼育されていたことがわかります。
また、縄文時代の住居跡や貝塚からもコイの骨が多数みいだされるようで、鯉と日本人の付き合いは古くて長いのですね。
そして鯉は、とても栄養豊富な魚のようで、鯉の生き血を飲んでいた爺さんたちを思い出します。
「栄養のあっけんが、わいも飲んでんろ」と勧められ、気持ち悪くて逃げだした思い出があります。
鯉の生き血は絶対に飲めません!
エイブルの木 5月号「エイブルからこんにちは」より
館長 永池 守