30年前の鹿島市の文化講演会、瀬戸内寂聴さんの言葉より
~ 生きる ~
三〇年程前、鹿島市で、瀬戸内寂聴さんが女性を対象に講演された、「生きるよろこび」と題したお話の中で、次のように語られています。
「・・・人が生きるということは、自分の中に与えられている、自分の気づかない、先祖からもらった可能性の芽を発掘し、大輪の花を咲かせることだと思います。普通の奥さんになり主婦として子供を育てる。それで花を咲かせていることになるの?と思っている人がいるかもしれませんが、有名になったり、ミンクのコートを着たり、ダイヤの指輪をつけることではなくて、周囲の人たちや町の人たちに「あの人に会うと心が和むね。」といわれるような、そんな存在になることだと思います。自分にできるだけ誠意をこめ、自分の生活を大切にし、生き、周囲の人にも愛をふり注ぐ。そういうことが人間として生きる最高の喜びと考えます。・・・」
格差社会と言われて数十年。
私たちは、どのように、この世間を渡っているのでしょうか。
巷には「自己責任」という言葉が幅を利かせ、なぜか不寛容になってきたように思うのは私だけでしょうか。
経済最優先の中で「人が生きる」とは、どういうことなのか、もう一度、想像しなおしてみるのもいいかもしれません。
「びりの子の貰う拍手や風光る」の句が持つ味わいのようなものがあれば、少しは救われますね。
エイブルの木 1月号「エイブルからこんにちは」より
館長 永池 守